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    あれやこれやのなんやかんや

    多趣味というか関心のあるものが多いので、趣味のことから政治的なことまで書きたいことを書きたいように書いていきます。

    Category: 映画 > ドキュメンタリー、ミニシアター   Tags: 映画レビュー  

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    『子宮に沈める』を、記憶に浮かべる。

    新宿K'sシネマで緒方貴臣監督最新作『子宮に沈める』を観てきました。


    2010年の大阪二児放置死事件をモデルにして、育児放棄やシングルマザーについて描いた劇映画です。


    予告編


    公式HP
    http://sunkintothewomb.paranoidkitchen.com

    自分は緒方監督のデビュー作『終わらない青』もUPLINKで観ました。
    父親からの性的虐待を受け、リストカットなどの自傷行為を行う女子高校生をリアルに、そりゃあもうリアルに(笑)
    描いていて、衝撃を受けたのを覚えています。
    でも、『終わらない青』は確かに考えるきっかけにはなったものの、整音などの作りの荒さや、見た後に自分の中でどう処理していいかわからない程の鮮烈すぎる描き方で、正直あまり好きな作品ではありませんでした。
    でも、ずっと小骨が喉にひっかかったように「残る映画」だったので、作品はもちろんその特殊なプロフィールや製作方法なども含めて緒方監督には一目置いていました。

    その緒方監督が育児放棄問題にフォーカスを当てて『子宮に沈める』という映画を撮ったと知って、ドキッとしました。
    自分が0歳のとき、自分の両親が離婚した理由がほかでもない母の育児放棄だったからです。
    怖い気持ちもありましたが、そこまでナイーブちゃんでもないしw、そいつぁ見たいぜ!という好奇心が圧勝してしまったので、緒方監督とNPO法人Wink理事の新川てるえさんとのトークショーを狙って観に行きました。

    どうしても当事者(?)としての自分の話や視点が含まれてしまうので、まともなレビューにはならないかもしれませんが、以下感想や考えたことなどを書いていきます。


    ++++感想や考えたこと(ネタバレあり)++++

    ◎まず、映画としての描き方について◎

    『終わらない青』のときはすごく気になってしまった「音」は、今作ではきっちり整音されていた。
    前作『体温』は見ていないのだが、完全自腹の自主制作で映画製作を続けてきて、映画の質や技術レベルあるいはスタッフなどの人材の面においても、着実に進歩してきているのはすごいことだと思う。
    特に関心したのはカメラワークだ。
    緒方監督の特徴として、固定カメラによる長回しで、実際の現実の風景を覗き見ているかのように切り取ることが多いのだが、今作ではそのカメラにも多くの工夫がされていて、飽きずに見ることができた。
    特に感じたのはピントとボケだ。
    被写界深度が浅くピント位置がシビアなレンズを使って、わざと顔からピントを外していたり、置きピンをしたり前ボケを入れたりしていて、ボケ具合やピント位置などの遊び心がとても映画的で美しかった。
    部屋の天井に近い位置から、垂直に下に向けたカメラで部屋全体を上から映すカットもあり、どうやってカメラを固定したんだろうとか思いながら見てた。
    カメラが家の中から一切出ない密室劇なので、こういう見せ方の工夫は本当に重要な要素だったと思う。
    あとは、『終わらない青』でも多用してた暗転は今作でもカットの繋ぎ目で多用されていた。
    断片を切り取って並べる際にそのまま直接繋げないという技法は、時間を飛ばしたり想像力を喚起するという意味では有効だけど、その度にいちいち集中が切れかけるので嫌いな人はもしかしたら嫌いかも。
    でもこの映画の場合、あれがないと息がつまり過ぎて死ぬ気がするけどw
    ちなみに暗転の長さもひとつひとつ微妙に変えてあるらしい。
    実際の大阪の事件では子供が置き去りにされた期間はなんと50日間にも及ぶそうだ。
    子供達にとってあまりにも長いその時間の経過を、あの暗転によってひとつひとつ表現しているのだろう。
    スクリーンが暗転している間、観客は見たまんまの暗闇を想像させられる。

    もうひとつ特筆すべき点は、徹底したリアルな作り込み。
    実際の姉弟にこだわったというキャスティングや、子役の演技(というよりは素の反応)や母親の由希子役の伊澤さんの痛ましいほどリアルなシングルマザーっぷり。
    特に映画後半での幸(さち)の室内サバイバルシーンは圧巻。
    こういう子のことを「天才子役」と呼ぶのだ。
    土屋季乃ちゃんホントよく頑張った!
    演技だけではなくセットもリアルだ。ゴミが散乱しまくっていて、スクリーンから異臭が感じられる程の部屋の内部の作り込みや、映画の最後の方で出てくるハエやウジ虫(本物)などなど。

    それらの描き方から見えてくる監督の意図は、「ただ、見せる。」ということだと思う。
    全く動かないカメラはほとんど何の主張もせず、音楽のない日常の音は感情を誘導することもなく、ただそこにある現実として見るものに迫ってくる。
    そのときそこで起こっていたであろう光景を、警察も記者も実際の母親ですらも見ていない、あの部屋の中の光景を、映画としての想像力と描写力で、残酷なまでにはっきりと「ただ、見せる。」のだ。
    これはドキュメンタリーではできない。映画でしかできないことだ。
    監督の作品や発言からはジャーナリズムを感じる部分もあるが、あくまでもドキュメンタリーでも報道でもない、劇映画として作品を描いている。
    ただし、エンターテイメントでは決してない。
    ドキュメンタリーでは撮れない、エンターテイメントでは重みがない、その中間にあるものを劇映画として表現するためには、確固たるこだわりと徹底した作り込みが必要になるということだろう。
    そういうフィクションは時としてノンフィクションを凌駕するほどの重みを持つ瞬間があるのだ。
    そういう映画は好きだし、そういう映画を撮る監督はもちろん他にもたくさんいる。
    例えば同じネグレクトの問題を扱ったもので言えば是枝監督の『誰も知らない』は有名だ。
    ただ、緒方監督はその点においてどの映画監督よりもとがっている(笑)
    うかつに触れるとケガする程にとがっているw。だからこそ作品には相応の重みがある。
    「重み」というと「軽くなる」けど、『子宮に沈める』からはもっともっと実在的な「質量」を感じる。
    それが下っ腹に「ズシン」とくるのだ。
    見ろと強制は出来ないし、見て欲しいともなかなか薦めづらい映画だが、もし覚悟ができたのならばぜひとも見て頂きたい映画だ。
    特にこれから子育てに関わっていくであろう人たちや、現在進行形で子育てに関わっている人に。


    ◎感想や考えたことなど◎

    映画は前半部、育児と家事を一人でこなす「良き母」としての由希子を描き出す。
    あやとりにロールキャベツに超豪華なキャラ弁。
    この時点ではまだ離婚していないが、すでに母は孤独な状態に陥れられていた。

    脱線するけど、個人的にロールキャベツは見事だと思ったw 
    演出としてあそこでロールキャベツを巻かせるのは100点満点w
    ロールキャベツって、メジャーな料理だけど、作るとなるとめんどくさいし、気合い入った料理だからね。
    ロールキャベツが、由希子が「良き母」であろうと頑張る姿をすごく象徴してるように見えた。
    だってさ、あれってそもそもキャベツで巻く意味ある?なんでキャベツで巻くの?しかも縛る意味あるか?そこまでするか?ニクキャベツデマイテイッタイナニガシタイ?
    ……てかロールキャベツってなんなんだ!?(笑)考えてみたらだいぶ謎な料理だな!
    そうかわかったぞ!お母さん達を追いつめているのはロールキャベツだ!!間違いない!!
    ロールキャベツは魔の料理です。(結論)
    全国のお母さん、ロールキャベツは育児放棄に直結する危険性があるので、
    今夜は肉団子入りのコンソメスープで妥協しましょう。
    とか思ったりしてたw←

    はい、ここから何事もなかったかのようにもとのテンションに戻ります。
    離婚してシングルマザーとしての新生活がスタートしてからは、目に見えて母の余裕が無くなっていくのがわかる。特に精神的な余裕が。
    医療事務の資格の勉強をしながらパートや家事や育児に追われる毎日。
    そこに追い打ちをかけるのが、他でもない子供達だ。
    とにかく泣きじゃくって止まらない弟の蒼空(そら)。
    姉の幸も、不安なのか試しているのか、母を困らせる。
    あっちもこっちも、なにもかもが母の肩に重圧としてのしかかる。

    見るのがキツくなってきたのはこのあたりからだ。
    映画に深く入り込もうとすると、どうしても無意識のうちに自分の身や、自分の姉や母に置き換えてしまうからだ。
    当時、自分は0歳8ヶ月ほどで姉はまだ2歳になっていないころだろうか。母親は20代半ばだったのではないかと思う。
    この時点でもうびっくりだし、映画を見始めてすぐ「うわぁ〜、まんまやん(苦笑)」ってなった。
    年齢に多少の差はありそうだが、自分に当時の記憶は当然まったくない。
    するとなにが起きるかというと、おかしな話ではあるが、まるでその当時の状況をそのまま見せられているかのような気分になってくるのだ。映画の力というのはこれだから恐ろしいし、すごいのだ。
    自分はだいぶ小さく生まれてしまったらしく、かなり軟弱で、手のかかる子だったらしい。
    きっと母には多くの気苦労をかけてしまったのだと思う。
    父は仕事の関係で週末や連休にしか帰ってこれなかったのではないかというのも、父の仕事を考えれば容易に想像できる。

    ふとスクリーンに意識を戻せば、
    残酷なほどに泣きじゃくる蒼空。
    まだまだ手のかかる時期の幸。
    それを独りで背負い込みながらも、良き母であろうと気を張り続ける由希子。

    …ズッシーン!笑。

    もうひとつ見ていてキツかったのは、母が出ていってからの幸と蒼空。
    ゆりかご(?)のようなものに収まったまま泣きじゃくる蒼空を、小さな手と体でガッチャガッチャゆらしてあやす幸。
    ゆらすのを止めるたびにすぐに騒ぎだす蒼空。その度に何度もゆらしてやる幸。
    粉ミルクを床に散乱させながら蒼空のミルクを作ってやる幸。
    キッチンハイターを飲もうとする蒼空(笑)。らめぇ!といって取り上げる幸(笑)。
    幼児というのは残酷な程に無邪気で、それなのに圧倒的弱者という無敵っぷりだ(笑)。

    自分も姉には今までたくさん苦労させてきたなぁ。そしてそれはきっと物心つかないうちからそうだったんだろうな。
    スクリーンの中の蒼空と幸の姿を見て、そう思った。

    ただ、当然だけど全てが類似しているわけではない。
    ネグレクトには大きく2種類あって、積極的ネグレクトと消極的ネグレクトがあるそうだ(映画を見てから調べてみて知った。)
    積極的ネグレクトは育児ができない明確な理由がないのに育児放棄すること。消極的ネグレクトは経済力の不足や精神疾患などで育児ができなくなることだそう。まぁ、この線引きもそんなはっきり分けられるようなものではない気もするが。。。
    自分の母の場合はおそらく後者で、単に精神的に参ってしまったのだと思う。まぁこれも想像といえば想像にすぎないのだが。
    自分たちはおそらく割と早い段階で(少なくとも生きてるうちに)見つかってるし、
    2人とも父に引き取られて、父の実家で父方の祖父母に育ててもらっている。
    かなり幸運だったし、恵まれた環境で育ててもらえた。だからこんなに真っすぐでいい子に成長できた←(爆笑)

    しかし映画では、由希子は友人に勧められて夜の仕事を始める。
    そして、寂しさからかホスト通いをするようになる。
    カメラは家の中しか映さないので由希子が外に出ている部分は想像に委ねられるが、家から出るときにケバい格好をしていたり家に若い男を連れ込んだりしてるのがわかる。
    そして、なんと最後に家を出ていくときにガムテープで窓やドアを封鎖してしまっていたらしい。
    出ていく前に作って置いていったバカ盛りの大量のチャーハンだけが、力なく言い訳をしているように見える。
    ロールキャベツとの対比が見事である。笑
    状況から見て精神的に正常ではなかったともとれるが、これはどちらかといえば積極的ネグレクトと受け取られてしまうのではないか。

    ちなみに、実際の大阪二児遺棄事件では母親が風俗で働いていたこととホスト通いをしていたことが大きく報じられ、それが決定打となって母親が叩かれまくっていたそうだ。
    それらの直接の描写は映画の中には出てこないのだが、映画の中のこの母親を100%擁護できるかというとそれはだいぶ難しいように自分の目には映る。

    では、やはり母親が全て悪いのか。
    それは違うと思う。もしそうだとしたらこの映画に意義はない。
    監督はインタビューの中でタイトルについても語っている。
    『子宮に沈める』とは、かなり挑発的で醜悪なタイトル(笑)だが、どうもそのまんまの意味ではないそうだ。
    監督は事件当時のころから、社会がなんでもかんでも「母性」という言葉で片付けて「母性」というものを神話化してしまっているのではないかと感じていたそうだ。
    「育児は母親がするものだ。」「母親には「母性」があるのだから。」
    育児がうまくいかなければ「愛情が足りないからだ。」「母性が足りなかったからだ。」といわれる。
    そういう固定観念や刷り込みが蔓延する日本社会の母親に対するプレッシャーが、「母性」の象徴としての「子宮」に母も子も育児も全てを沈め込んでいるのだ。という感じの意味が含まれているそう。
    ☆参考までに→ シノドスの記事:母親を子宮に沈める社会 ――大阪二児遺棄事件をもう一度考えるために 映画『子宮に沈める』 緒方貴臣×角間惇一郎
    (それにしてもシノドスで記事になるとは。チキさんもシングルマザーの売春についてルポ書いたりしてたからかな。)
    ちなみに、映画を見ずに題名しか見てない人が単純にそのままの意味として受け取って批判しているケースが多いみたいだけど、そういう人に共通しているのが、大阪二児遺棄事件に対して100%母親のみを糾弾してそこで思考を停止させているところ。それではまさに監督が言うところの「子宮に沈める」ではないか。それこそあの事件まるごと。
    そこに一石を投じる為のこの『子宮に沈める』なのに、それすらも再び、見ようとすらしないまま「子宮に沈める」というのか。
    それは、とても視野が狭くて、すごくもったいないことだと思う。


    [上映後トークショー 左が緒方監督で右がNPO法人Wink理事の新川てるえさん]

    新川さんはシングルマザーの支援などをするNPOの理事だからか、母親側に寄り添った意見を言っていた。
    新川さんが悪いと思うのは、全てを放棄して出ていった父親だと言っていた。
    確かに母親の育児放棄以前にこの父親は父であることも夫であることも育児も全て放棄している。
    映画のコピーにもあるように「孤独が母を追いつめる」ということか。
    母子家庭に対する社会保障などの不整備やその周知の問題や、別れた元夫から養育費がちゃんと払われる割合は2割程度しかないという話もしてくれた。そりゃひどい。。。
    日本は先進国の中では、女性の社会進出の割合や、シングルマザーの貧困率や、社会保障の整備などが著しく遅れているということはもはや周知の通りだ。
    確かに父親の責任は間違いなくあると思うし、社会全体としての問題という面もあるように思う。
    でも、新川さんの社会的な立場がそうさせるのか、今度は母親側に寄り過ぎているような気がして、自分は少し違和感を感じながら聞いていた。

    では、母親も元夫や社会から放棄された被害者のひとりなのだろうか。
    では、孤独にさせた父親が悪いのだろうか。あるいは社会が悪いのだろうか。

    ...そんな単純な話ではないと自分は思う。

    そこのところについては監督と映画そのものが語ってくれた。
    監督が言うには、この映画は見る人の立場や価値観によって、誰を悪者にするかも違うし見え方も変わってくる。
    だからこの映画は、できるだけ中立に、どの登場人物にも感情移入しづらいように、ただ覗き見ている感覚になるように気をつけて作ったそうだ。
    この映画を見て、それぞれが自分なりに考えて欲しい。ということだそう。

    ただし、この映画は冷静で中立な観察者である以前に、その成り立ちからして、ひとつだけ強烈な主張を内包している。
    それは「子宮に沈めるな!」という主張であり、つまり「思考を止めるな!」という主張でもある。
    この日本社会に対して、あの事件について育児放棄という問題について、改めて考える機会を与えてくれているのだ。
    だから監督はインタビューで「とくに見て欲しい人は?」という問いに「事件当時に叩いていた人たち」と答えているのだろう。
    これらの点において、この映画はものすごく正しいと思う。
    監督自身、この事件について相当に考え抜いたのだろう。

    この事件や育児放棄について考えれば考えるほど見えてくるのは、
    一般化できるような明確な正解の無さであり、問題・社会・家族・親・子・育児・人間などの途方もない複雑性だ。
    この事件のケースだけでも、シングルマザー、男女格差、貧困(ワーキングプア)、雇用制度、社会保障、支援制度、行政、風俗業、性教育、精神疾患、地域コミュニティ、etc…。 
    事件の要因として、様々な問題や社会状況が挙げられるし、それら同士もまた相互に複雑に関係し合っている。
    背景にあるさまざまな要因が複雑に絡み合い、少しずつ歪みを生み出していき、その最悪の結果として育児放棄に繋がるのだ。
    それを、誰が悪い、なにが悪い、と責めあってみてもあまり意味がない。
    そんなことで済んでしまう話なら、もう育児放棄なんて起きないだろう。
    さらに言えば、そうやってなんでもかんでも単純化・一般化したがり、多様性にことごとく不寛容な現代の社会の風潮もこの問題の大きな要因のひとつであると自分は思う。
    残念ながら、これからも似たような事件は起きるだろうし、育児放棄はなくならないと思う。
    その背後にある途方もない複雑性を、まずは一人一人が認識するところから始めるしかないのだ。
    その複雑性から目を背け、全てを母親の「母性」に押し付けて「子宮に沈める」という行為は思慮に欠けると言わざるをえない。
    母親(個人)の問題と結論づけて思考を止めれば、社会はひとつも改善を見ないままにまた同じことを繰り返し、そしてまた同じ反応を繰り返し続けるだろう。
    これは個人レベルではなく、社会レベルで考えるべき問題なのだ。
    人間と社会の複雑性を頭に入れた上で、一人一人がまた改めて考え抜いていくしかない。
    その結果、それこそ多種多様で複雑な回答が人の数だけ導き出されていくだろう。
    それは言ってみれば社会が思考するということであり、そうやって社会は僅かずつ改善しながら前に進んでいくのだ。
    それは例えばWinkの新川さんやGrowAsPeopleの角間さんのようにNPOとして女性の支援をすることかもしれないし、あるいは緒方監督のように映画を撮ることかもしれない。
    あるいは自分が父親になったとき育児に積極的に参加しようとする心構えなのかもしれない。
    あるいは自分が母親になったときに、自分にも起こりうることとして気をつけてみることかもしれない。
    もし育児がつらくなってもひとりで抱え込まずにSOSが出せるように普段から備えておくことかもしれない。
    もしかしたら、自分の周りで大変そうなシングルマザーを見かけたとき、たった一言、優しい言葉をかけてやるだけのことなのかもしれない。
    ひょっとしたら、今夜はロールキャベツはやめて肉団子入りのコンソメスープで妥協する勇気なのかもしれない←
    もしくは、チャーハンは一度に大量に作りすぎないように気をつけることなのかもしれない←
    そうやってすこーしずつ、母親をサポートできる社会に、子育てのしやすい社会に、社会全体で子育てをするような社会に、一歩ずつ進んでいければいいと思う。

    ・複雑性を理解すること。
    ・過去から学ぶこと。
    ・社会を前に進めること。
    ・ひいては、まずは一人一人が考えること。

    この映画はその出発点となりうる。
    だから、この映画はとても正しいと思う。とても慎重で、優しくて、真摯な映画だと思う。
    自分はこの映画を支持するし、多くの大人に見て欲しいと思う。
    新宿のK'sシネマでは12/6までの公開で、どうやらDVD化はしない予定らしい。
    劇場に足を運んで見て欲しいという意図はよくわかるけど、育児放棄を描いた映画として残して伝えていく(社会に思考させ続ける)という意味では、むしろDVD化すべきなのではないかなとも思うのだけど。


    なんにせよ、この映画は自分にとって大切な映画のひとつになった。
    自分の生い立ちにも関わるし、そこに正面から向き合わせてくれた。
    育児放棄についてこんなに長い時間、こんなに深く考えたことはなかった。
    言ってしまえば作り物の映画だから、自分の幼少期の記憶を補完するなんてことはないのだけど、
    なんとか生かされて、もうすぐ23歳になろうとするいま現時点での自分の記憶の中に、大切な映画のひとつとして、育児放棄について考える材料として、

    『子宮に沈める』を、記憶に浮かべる。


    +++++++++++++++



    ロビーで監督と主演の伊澤さんにサインもらってしまった!
    少しだけだけど、話もできた。
    監督は、映画のエグさとは違って優しそうな人。
    子役達にあんなことをさせた人物とは思えないw

    伊澤さんは自分の話を聞いて「え!? エグられなかったですか?それだけ心配です。」と心配してくれたw
    そんなに深くエグられてないので大丈夫ですよ!笑←
    伊澤さんはラストシーンが特にすごかった。
    お腹の子供を文字通り子宮に沈めようとするシーンと、シャワーを浴びながら瞳孔開いてギョロギョロするあの目が。

    ※追記
    あのラストの一連のシーンについての解釈を書き忘れていたけど、大阪での公開も始まったことだし、自分なりの解釈を書いておきたい。もうすでにうろ覚えだけどw。
    まずあの手編みの赤いマフラーは、冒頭でのシーンからも読み取れるように子供への偽りなき深い愛情を表している。
    そして同時にあの赤い糸が血の繋がりを表現しているのだと思う。
    鮮やかな緑のシートで子供の亡骸を丁寧にくるむシーンも、ロールキャベツを丁寧に巻いていたシーンとクロスオーバーする。
    そして最後にお腹の子供を子宮に沈める描写では、死んでしまった2人の子供に赤いマフラーを巻き、そのマフラーから編みかけの赤い糸が繋がったままの編み棒を使って自分の性器,子宮を傷つけている。
    そこから読み取れるのは「いまも、3人とも偽りなく愛している。」ということ。と同時に「自分には母になる資格がない。」という想い。
    このお腹の子もこの2人のように不幸にしてしまう。自分に母親になる資格はない。だからこの子は産んではならない。という想い。子供達に対して言葉にならないほどに申し訳ないと思う気持ちと、自分に対して言葉にならないほどに嫌悪する気持ち。
    それでも、お腹の子供も死んでしまった2人の子供も、(いまも)心の底から愛しているのだという偽りのない気持ち。
    そして何をもってしても否定できっこない血のつながり。
    それらが全てないまぜになって、精神が崩壊しかけるほどの状態になっての、あの激しい慟哭と嗚咽なのだ。
    そしてシャワーを浴びながら瞳孔開いてギョロギョロするあの目こそが、彼女の精神状態の不確かさを表している。
    あのシーンは、この母親を単なる子殺しの殺戮者ではないのではないか、という視点をもって注意深く観る人にだけ何かが伝わり、ほんの僅かに考えるヒントとなるシーンだ。監督が中立に気をつけて(むしろ母親の立場に寄り添わないように気をつけて)描いたこの映画の中で、監督ができる精一杯の母親に対する理解の描写なのではないかなと自分は思った。
    たぶん、もっと簡単に、母親が育児放棄に至るまでの過程やそこにあった問題を丁寧に描いてやることはできたはず。
    でもそれでは意味がないし、それが正解だとも思えない。やはり観た人に自分の頭で考えて欲しい。ということなのだろう。
    この映画で、育児放棄に至るまでの流れを丁寧に描こうとすると、母親の心理を間接的に描写したり、カメラを部屋の外に持ち出さなければならなくなる。
    しかしそれでは、観客はただ受け身になるだけで、深く考えたり想像力を働かせられなくなってしまうし、この映画の本質すらも変わってしまう。
    この映画は説明的描写が皆無だが、だからこそ観客があれこれ考えて想像力を働かせるしかないようになっている。
    そしてその想像力こそが、いまも起こりうるこの現実に対して我々に最も必要なものなのだ。
    この映画を見て、この部屋の外の世界やこの母親について想像力を働かせられないのであれば、現実でも想像力を働かせることなんてできない。
    だから監督は、誤解されたり批判されたり物議を醸すということをわかっていながら、あえてそのリスクを負い、観客を愚直に信じ、この映画の受け取り方やこの映画の意義にいたるまでを、観客ひとりひとりの想像力と思考に完全に委ねたのだ。その姿勢と覚悟に敬意を表したい。

    それに、もしそういう育児放棄に至るまでの過程やその後ろにあるもっと大きな背景などを知りたければ、あの事件の背景や実際の母親やその家族に至るまでを徹底的に取材したルポがあるし、それを読めばいいということを監督自身も言っている。

    そして、最後に母親が窓から青空を見上げるラストシーンは「どんなに孤立しても同じ空でつながっている」という母子たちへの監督からのメッセージでもあると、監督自身が語っている。
    やはりこの映画は、厳しく辛い映画でありながらも、とても真摯で優しい映画なのだと自分は思う。
    映画が、というよりも、映画を通して監督やスタッフや役者さんたちの想いが伝わってきて、それがすごく真摯で優しいのだ。

    あと、これは映画全体に対して言えることだけど、緒方監督は作家性が素晴らしいと改めて思った。
    赤や緑の色彩の使い方、徹底的につくり込まれた構図や小物の配置、そして子供目線(ローポジション)からの固定カメラなど、あの小津安二郎監督に近いものを感じた。
    小津安二郎監督があそこまで自由に作家性を追求できたのは当時の撮影所システムが機能していて、同じスタッフや同じ俳優を常に登用して自由度の高い状態で作品作りを続けられたからだが、
    緒方監督はそれに近いことをインディペンデントの自己資本映画としてやってのけている。いまの時代を考えるとこれはすごいことだ。リスクもかなり高い。自分だけならいいが、仲間まで食えなくなりかねない。
    そして一貫して現代社会の問題などを題材にして作品を撮っている。小津監督も一貫して「昭和の家族」を撮り続けたが、緒方監督は方法論もテーマも現代に即した形にアップデートしているのだ。
    もっと評価されてしかるべきだと思う。今後がますます楽しみな監督である。



    伊澤さんに撮影について聞くと、やはり大変だったそうだ。辛かったと。
    そりゃそうだよなw あんな役やったら役が残って頭おかしくなるんじゃないか?
    でも、監督の残酷なまでにリアルな見せ方も含めて、そういう真摯な作り込みのおかげで、観客も違和感なく映画に深く入り込めるし、深く考えることができるのだ。
    あと、伊澤さんて柴崎コウに似てる(?) 凛としててすごくキレイな人だった。


    記念撮影してたので横からパシャり。


    あ、ちなみにこの映画の半券があるとK'sシネマ毎年恒例の『ヘヴンズストーリー』(12/14~12/20)が割引料金で見れる。
    全9章、4時間38分の、殺人・復讐・再生の物語。
    この映画もまた、ものすごい「質量」を持つ、日本映画史に残る素晴らしい映画。
    自分は今回で5回目になるw 『子宮に沈める』に向き合った自分へのご褒美として見に行く予定w。
    この記事をここまで読んでる人は『子宮に沈める』観に行った人が多いと思うので、その半券を持ってぜひ。



    ++++じぶんのこと++++

    最後に少し自分のことを書いてみる。
    自分の母の育児放棄について。

    考え方にいろんな変遷はあった。
    母のことを悪く思ったり、ひどい母親だと思った時期もあった。
    自分の子の育児を放棄するって、一体どういうことなの?意味わからんわ。って思うこともあった。
    じゃなんで産んだんだよ…って。
    腰が曲がったおばあちゃんが大変そうに家事をしているのを見たり、おばあちゃんが倒れたあとに姉が必死で代わりに家事をやろうとしているのを見て、母親さえいればこうはならなかったのにと思うこともあった。
    でも、血が繋がっているということは紛れもない事実で、育児放棄しようが離婚しようが親権が父親に移ろうが、母の血がいまも自分の中には流れているのだ。
    その母を否定することは、自分の存在をも否定することになる。
    自分の中のこういうところは、もしかしたら母からもらったものなのかもしれないと思うこともあった。でも確かめようがない。自分のルーツがわからない。自分がわからない。そう悩んだこともあった。

    そして、多くの思春期の息子達と同じで、父が大嫌いになる時期もあった。
    そのころは、実は父が悪かったんじゃないかと思ったりもした。
    父が仕事ばかりで家事や育児を全て母親に任せ切っていたんじゃないかとか。
    なのに自分だけ被害者面してんじゃねぇよとまで思ったこともあったw。

    あと、いまとなっては笑い話だが、自分がいけなかったんじゃないかと思うこともあった。
    自分は体が貧弱で、ものすごく手のかかる子だったということを祖父から聞かされていたから。
    いらん子だったんじゃないかとかw
    肉体的にも精神的にも母に大きな負担をかけて追いつめる自分が存在しなければ、父と母と姉の3人だったら家族円満にうまくいってたんじゃないかとか。
    でもこれは当時、自分の中では確信に近かったと思う。
    母親も父親も姉も、誰も否定せずに尊重しなければならないとなったとき、その矛先が自分に向くのは当然のことだ。

    あとは、ロールキャベツを憎悪した時期もあった…かもしれないw。


    いまでは、母は若くして家事と育児を一手に引き受けて大変だったんだろうな。精神的に追いつめられていったんだろうな。無理させちゃったんだな。と思う。(そう思うための小さな手がかりやすごく希薄な根拠のようなものは一応ある。という程度での想像にすぎないが。)

    一方で、父は父で家族を養うということをすごく考えて仕事をしていたんだろうなと思う。
    子供達の将来のことまで考えて、特殊で大変な仕事を勤めあげていたんだろうな、と素直に尊敬できる。

    あと、自分がいらん子だったわけないっしょ!それはないわw!こんないい子なのにw!?ギャハハ!
    と思うこともできる。(…..生まれてきてごめんなさい笑)


    それはやっぱり、誰かが悪いわけではなくて、みんながそれぞれ不安要素を抱えていて、いろんな要素が複雑に絡み合って、その結果として起きてしまったことだと思うから。
    だから自分は誰を責めることもない。たまにはロールキャベツも食べたい。


    ただし、そういうことが起きてしまいやすい社会であり、
    そういうことが起きてしまったとき、真っ先に母親を責めやすい社会だなとは思う。

    子育てがしやすいとは到底言えないし、家事や子育ては母親任せになりやすい社会。
    他人と違うことが許されないし、失敗に対しても不寛容な社会。
    フォローもしてくれないし無関心なくせに、プレッシャーだけはものすごいかけてくる社会。
    そういう、誰に対しても優しくない社会だなということはすごく思う。

    それはやっぱり少しずつでも改善していかなければならない。
    子供と一緒に、母親も父親も、そして社会も、少しずつ成長していかなければならない。
    そのひとつひとつの小さな成長が、相互に複雑に絡み合って、その結果として、
    育児放棄の一歩手前で踏みとどまれるように。
    ただただ、そう願うのみである。


    あと、自分にとっては、顔も声もわからないし記憶の中にすら存在しない母に対して、
    自分が確信を持って言えることがひとつだけある。

    上に書いたように、こんなクソみたいな生きづらい社会だし、
    そのくせやたらと複雑で、そんな社会で生きることは死ぬほどめんどくさいことだけど、

    それでも、いまではその複雑さやめんどくささも含めて、
    やっぱり人生はおもしろいと思えるようになったし、というかまずおれがおもしろいしw←

    だから、、、ひとつだけ、、、


    産んでくれて、ありがとう。


    おわり。

    ※もういっこ追記
    この記事を書いてから少したった2013年の12月8日で23歳になりました。
    そのときに気付いたんですが、

    自分の誕生日が、好きです。

    ...まぁ誰だって好きでしょうけどねw

    その日付も数字も、一日中そわそわした感じも、ふわふわ感やわくわく感も。
    そして、いろんなことを考える日なんです。
    この一年間はどうだったろうか、自分は少しでも成長したのだろうか、23歳の一年間はこうでありたい、とか。

    もちろん母親のことについても自然と考えたりします。
    いま、どこでどうしているだろうか。
    母にとっての12月8日はつらい日になってしまっていないだろうか。
    いま、笑えているだろうか。とか。

    そして、戦争についてなども考えたりします。
    12月8日は真珠湾攻撃の日なので。
    おじいちゃんには戦争の話をこれでもかってくらい聞かされましたw。

    12月8日はジョン・レノンの命日でもありますね。ファンに銃殺されたんですよね。
    だからジョン・レノンのこととか、ロックの歴史とか、音楽に一体なにができるのかみたいなことを考えたりもします。
    でも「音楽は平和をもたらすか」みたいな、くさくて小さくてつまらない話はそんなに好きじゃないです。
    そんなクソみたいな問答よりも、音楽は人類にとって絶対的に偉大で不可分なものですからね。
    ちなみに、その犯人は今年仮釈放されるそうで、ちょこっと騒がれたりもしてるみたいです。
    誰か忘れたけど、有名な熟練ロックバンドのおっさんが「出てきたらおれが殺す」みたいなこと言ったらしいですwww

    あと、12月8日はさま〜ずの大竹の誕生日でもあります。
    だから面白いことも考えます。あの大竹のようなシュールで落ちついた面白さが欲しくてたまらないですw

    まぁ、そんな誕生日が、自分は好きです。
    自分にとっての誕生日が嫌な日じゃないということが、幸せなことだなと思うし、
    ただ単純に嬉しいだけの日というわけでもないことが、すごくありがたいことだなと思います。

    まぁ誰からも何ももらえない日なんですけどねーw!!←
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    テーマ : 映画館で観た映画    ジャンル : 映画

    Category: オーディオ > イベント   Tags: ヘッドホン祭り  ポタアン  

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    秋のヘッドホン祭り2013 その②

    では前回に続いて、秋のヘッドホン祭りのレポートその②を書いていきます。
    DSC_0130


    まずは一気にハイレゾ攻勢を仕掛けてきて大注目なSONYから行ってみましょう!
    DSC_0154

    DSC_0151
    「PHA-1」から一年足らずで早くも登場した後継機「PHA-2」です!
    DAC付きでiPodとウォークマンからもデジタル接続できます。
    DACにはPCM1795(高価な据え置き機で使われるチップです!)を採用していて、192kHz/24bitのPCMとDSDのハイレゾにも対応してます。
    これはすごい!一切の妥協がない!
    音もかなり高音質で、評価の高かった「PHA-1」からさらに進化してます。
    「PHA-1」のバランスの良さを損なわずにそのまま高音質化したような音です。
    でも思った以上にでかかったですねw
    「PHA-1」より一回りでかいです、というか長いですw
    アナログアウトも搭載してるんですが、これDACにして3段にしたら大変そうw

    DSC_0153
    次はSONYの新フラッグシップイヤホン「XBA-H3」です!
    BA2機と16mmの大口径ダイナミックドライバの3wayハイブリッド構成です。
    SONYお得意の「大きい振動板は縦にして入れちゃえ」という発想にBA2機を追加した感じですねw
    ただ、この形状のせいで多少着けづらいです。そして耳から飛び出しますw まぁ10proユーザーなので慣れてますが。
    音は、ずばり低音マシンです。個人的には低音がズンドコいきすぎだと感じました。
    解像度は高いですが、音はウォーム系です。
    16mmのダイナミックだから出せる低音だということはわかりますが、ちょっと盛り過ぎな印象です。
    このオラオラな低音が中高域の邪魔をしているようにも感じました。
    ただスーパートゥイーター搭載で5Hz~40kHzというスペックの通り、レンジは広いなと感じました。
    でもいくらレンジが広いとは言っても、カナル型でハイレゾ対応を謳うというのはどうなんでしょう。
    ハイレゾは圧倒的高解像度に加えて、耳での可聴帯域外の20kHz以上の高周波も含んでいるため、SONYはこのスペックでハイレゾ対応と言っているんでしょうが、20kHz以上の高周波は耳ではどうやったって聴けません。
    大橋力教授(芸能山城組の組頭・山城祥二さんの本名)の世界的に有名な研究によって明らかになっていることですが、人間は可聴帯域外の高周波は耳ではなく皮膚で直接感じ取って、脳内で耳からの音に合成・補完しているのです。
    なので高周波流すならスピーカーじゃないとあんま意味ないはずなんですよね。
    ヘッドホンならまだしも、カナル型で高周波流したってしょうがない気がしますw
    DSC_0184
    ちなみに、個人的にはハイレゾ対応プレーヤーではZX-1が一番気になっているので聴きたかったんですが、今回は試聴機が用意されてませんでした。
    DSC_0183
    SONYのヘッドホンがズラリ。

    DSC_0155
    まだまだ続きますw! お次ぎはSONYのハイレゾ対応DAC付きプリメインアンプ「UDA-1」!!
    そしてハイレゾ対応スピーカーの「SS-HA3」です。
    自分はいま真剣にUSB-DACの導入を考えているのでこのUDA-1が激しく気になっておりました!
    最高192kHz/32bitのPCMとDSDに対応。同軸デジタル入力を備えていて、既存のオーディオシステムにも組み込めるということで注目してたんですが、、、
    どういうわけか、MacではDSD再生には対応していないという話をネット上で見かけて落胆してました。
    そこで、担当者に直接聞いてみました。
    「いえ、DSDはMacでも再生できるはずで….。あ、ダメみたいですね。」とカタログの一番下の※印で書かれた注意書きを見せてくれましたwww 字ちっさwww  うあーまじかー。
    やっぱ頑張ってUD-501買うしか無いのかー。
    DSC_0156
    でもせっかくなのでスピーカーもちょっと試聴させてもらいました。
    音は小型スピーカーらしい鳴り方ですが、価格を考えたらコスパは高いと思います。
    こちらもハイレゾ対応ということで、高周波を再生できるようになってます。
    超高域を再生する為にスーパートゥイーターを前面と上面に2機搭載しています。
    ちなみにこれの上位機種の「SS-HA1」という機種は、同じスーパートゥイーター2機と通常のトゥイーターも搭載していて、ウーファーも一回り大きい振動板を採用しているとのことなので、結構気になってます。
    ヘッドホン祭りなのにwww

    お次ぎはこちら!
    DSC_0157
    音茶楽(オチャラク)←読めるかっつーの!w 
    からの新製品「Dongri-欅-」です。
    DSC_0158
    どどどどど、どんぐりぃ!?!?
    本当にどんぐりをハウジングに使ってるのかと思って一瞬焦りましたが、欅(けやき)だそうですwww
    担当者に話を聞きましたが、「けやきは木の中では最も音の伝達速度が早い」んだそうです。
    「木なんだけど、レスポンスが良いので、そこまで木の音にならないのもポイント」だそう。
    DSC_0161
    試聴してみましたが、なかなかよかったです。
    音茶楽の製品はどれもクセが強くて、特に高域が不自然な程に伸びすぎるという特徴がありました。
    ヌケの良さをひたすら追い求めてるような人にはハマるイヤホンでしたが、自分はあまり好きじゃありませんでした。
    しかしこの「どんぐり」からはあまり不自然さを感じませんでした。
    音は確かに音茶楽の音なんですが、比較的自然な鳴り方をしているなと感じましたね。
    この音は結構好きな人多いと思います。どんぐりを耳に挿すことに抵抗さえ無ければですがw

    DSC_0162
    大注目の新ブランド!Dita Audio!!
    シンガポールのブランドだそうです。
    DSC_0164
    おしゃれ!!かっこいい!!
    付属品やケースもかっこいいです。
    日本のイヤホンは海外製のイヤホンにデザイン面では完全に負けまくってますwww
    パクってたり、耳から飛び出しまくったり、どんぐりだったりwww まぁその分音質や技術では十分勝負できていますけどね。
    DSC_0163
    「Answer」(約49,900円)
    ダイナミック一発でこの値段とはw
    こだわりもすごくて、全てのパーツを自社開発しているんだとか。
    ハウジング部は航空宇宙グレードのアルミを削り出し一体成形しているらしいw
    音はダイナミック一発とは思えないほどレンジが広くて高解像度。音のバランスも良い。
    DSC_0165
    そしてこっちが上位機種の「Answer Truth Edition」(約79,900円)
    「Answer」との違いはケーブルと色のみで、あとは全て同じ仕様。
    ケーブルだけで3万も違うとはw
    なんでも有名なオランダのvan den Hul(ヴァン・デン・ハル)というところのカスタムメイドケーブルを採用しているとのこと。
    たしかに見た目からしてとんでもないケーブルでしたね。
    自分はイヤホンのケーブルとか自作するんで興味津々だったんですが、ものすごく精巧な造りでした。
    細かい部分の写真は撮ってないんで伝えづらいですが、ハンドメイドだと甘くなりがちなプラグとの接合部には被膜の上からブーツを履かせていて強靭さと一体感がありました。
    驚いたのは4つ編み部分で、4つ編み部分のある位置にプラスチック製(?)のパーツがついていて「VAN DEN HUL FOR DITA」とか書いてあるんですが、その反対側が空いていて、そこだけ4つ編みの被膜が透明になっていてよりケーブルの構造がわかるようになっていました。くっそかっこよかったです。
    でもこれはやろうとしたら相当めんどくさくいし難しいですし、普通こんなことしませんw
    音も当然こちらの方が良くて、「Answer」から更にすべてがグレードアップした感じでした。
    価格がちょっとお高いですが、IE800の対抗馬になりそうな感じです。
    個人的にはIE800より自然な鳴り方で好きでしたね。

    DSC_0188
    さぁ、お次ぎは一体どこに向かっているのかFitEarさんwww!!
    アニソン専用カスタムとして話題になった萌音のキャラが2頭身フィギュアになって回転してましたwww
    念のため言っておきますがFitEarは国内最大のカスタムIEMメーカーで、名だたる日本のアーティスト達のステージをサポートしているすごいメーカーですw
    DSC_0185
    左がMH334で右がMH335DWです。
    終了間際に行ったら空いてたので試聴してきました。
    やはりMH334のバランスの良さは素晴らしいですね。
    MH335DWは334にウーファーを足したものなので、全体のバランスに対して若干低域が出過ぎてるような気がします。まぁその質は恐ろしく高いんですがw
    そしてですね、今回そのMH335DWのアップグレードサービスが新たに始まるんだそうです。
    写真がなくて申し訳ないですが詳しくはコチラ→http://fitear.jp/music/product/mh335dwsr.html
    主に変更点は2カ所で、ひとつはネットワークの最適化。
    もうひとつはアコースティックチューニング(高域のサウンドポートのチタンチューブ化)。
    つまりパルテールで使用した技術を335DWの高域用ポートに使うということですね。
    そのアップグレード済みの335DWも試聴させてもらいましたが、
    ぶっとびましたw
    なんじゃこりゃw これはすごすぎるなw という感じです。
    もともと音のバランスの良さに定評のあるFitEarですが、これはさらに自然な鳴り方になってます。
    通常の335DWでは低域が若干強めと感じていたと書きましたが、このアップグレード版は低域の解像度が上がって若干タイトになっていて、同時に高域が美しく自然に伸び、中音域はそれらに埋もれることなくしっかりと前に出てきます。全てが完璧なクオリティーとベストなバランスとでまとまっている驚異的なイヤホンですw
    さて気になるお値段ですが、旧型フェースプレートモデルのアップグレードが52,500円で新型フェースプレートモデルが42,000円だそうですw 高級イヤホン買えちゃいますねw
    しかも最初からこれを注文することは出来なくて、あくまでもMH335DWユーザー向けのサービスだそうで、
    まずMH335DWを作ってからアップグレードをしないといけないそうです。
    しかしMH335DWの定価が168,000円なので、このイヤホンは実質、驚異の20万超えとなりますねwww
    ちょっとロト6買ってきますね。

    最後はもう完全に個人的な話ですが、今一番欲しい据え置きDACです。
    DSC_0173
    TEACのUD-501です。
    DSC_0174
    DACにPCM1795を左右2基採用していて、384kHz/32bitのPCMとDSD5.6MHzの再生に対応しています。
    そしてコアキシャル入力を2系統備えているので、既存のCDプレイヤーなどともデジタル接続できるので、PCオーディオだけでなく、オーディオシステム全体のグレードアップもできます。
    各方面でも絶賛されていて、しかも安くなってきている(定価11万以上だけど現在実売6万ちょい)のでもう欲しくてたまりませんw
    ちなみに試聴用にベイヤーのヘッドホンT1が用意されてたので、気になっていたヘッドホン端子の音を聴かせてもらいました。
    やはり、みなさん言われている通りヘッドホンアンプ部はやや非力ですね。MUSES8920を2基使用しているとのことですが、MUSES8920は決して悪くはないんですが自分の自作ポータブルアンプにも使ってるくらい身近なオペアンプですしね。
    出力もやや低くて、鳴らすのが難しいといわれるT1には完全に力不足で、ボリューム最大にしても鳴らし切れていませんでした。
    まぁこんなクラスのヘッドホンは持ってないからいいんだけどねw
    そこで、せっかくなのでヘッドホンアンプHA-501の音も聞いてみました。
    DSC_0175
    やはりさすがにこの大きさと価格で、ヘッドホン専用アンプなだけはあります。
    T1もしっかり鳴らしていましたね。
    これは聴いてるとガチで欲しくなっちゃうからもう聴きませんw
    まずは頑張ってUD-501を買うのですw
    DSC_0178
    同じ501シリーズのプリメインアンプAX-501(上)とDAC付きアンプAI-501DA(下)です。
    AX-501はバランス入力に対応の高品質なアンプということで、バランス出力があるUD-501との相性が抜群なわけですね〜なるほどね〜w
    もうまじでやめてくれw これ以上おれの物欲を刺激しないでくれw ボンビーなのにw

    最後に会場の写真を少々。
    DSC_0180

    DSC_0168
    MH-audioさんのWAON。
    DSC_0179 みんな熱心です。

    と、いうことで以上秋のヘッドホン祭りレポートでした。

    おまけ
    DSC_0200

    DSC_0198
    帰りがけに撮った地下鉄。地下鉄のホームはなんだか絵になりますね。

    テーマ : オーディオ    ジャンル : 趣味・実用

    プロフィール

    Sohei.S

    Author:Sohei.S
    多趣味というか関心のあるものが多いので、政治的なことから趣味のことまで、書きたい事はなんでも書いていこうと思います。
    ちなみに主な趣味は映画、音楽、オーディオです。3つとも割とどっぷりいってると思います。あと最近、写真も趣味に加わりました。
    映画は単館系のドキュメンタリーから、シネコンの娯楽映画や映画音響やIMAXの話まで。
    音楽はジャズ/クラシック〜ポストハードコア/メタルコア〜エレクトロニカ/ポストロック/ポストクラシカルまで、かなり雑食にオールジャンル聴いてます。ドラムとパーカッションやってたので演奏や音楽史にも興味あります。あとミックスやマスタリングなどにも興味があります。
    オーディオはポータブルとホームオーディオ両方です。ケーブルとかポタアン自作したりもしてます。
    拍手、ツイート、コメントなど大歓迎です。
    それではよろしくどうぞ〜m(_ _)m。

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